“まなてぃうえっぶ”へ

倒産寸前の諫早市
諫早湾漁業の実態
集会決議
有明海の潮位急上昇
東京便り
干潟の予備調査を終えて
諫干事業計画変更検証
編集後記

東京便り
盛り上がった那須での交流会
臼木 信義(東京事務所ボランティア)

 東京でも雪の音がする様になりました。回りではクリスマスの音楽に合わせ商戦が盛んです。また、渋谷周辺では若者がエネルギーを持て余し気味に夜中を送り、外国人が若い女性と手に手を取ってカッポしている姿が、小生の目に飛び込んで来ます。
 ところで、われわれ東京事務所のメンバー及び山下夫妻は栃木県那須岳下の丸木小屋を東武電車グループから貸し切りに使用させてもらい、16名(男9名、女7名)が集い、勉強会を兼ねた忘年会を行いました。
 山下さんより、現地報告や今後の方針、さらに運動の進め方等を話してもらい、東京事務所のメンバーも加わり、延々と明け方まで語らいました。傘下メンバーは熱心に語り、酒、ビール、ワイン、日本酒も手伝って、盛んに、時には声を大にして進みました。
 丸太小屋は、あまりの勢いに、うれしい悲鳴を上げていました。また、ビールもワインも次々とメンバーの身体に収まり、それに伴ってボルテージも上がってきました。山下さんが九州からカキを持ってこられ、刺し身、寿司、それに野菜に摘まみと、並々の美味があり、一皿挙げても、まだまだ出され、圧巻の食材でした。それは「居酒屋」の量に負けぬ位の酒のオンパレードでした。
 語らいも夜中となり、汽車はさらに勢いづき、アルコールを充たしながら、急行列車の如く、スピードを増し、外気は4度位であったが、われわれの場は、真夏のムンムンでした。途中下車するものも居たり、はたまた途中ダウンしたりと、忙しい小屋でした。而して、スピードはグングン騰がり、明け方2時になっても、長崎本線はまだ中ほどの所でした。終着駅に入った訳ではなく、方向がぶれればポイントを切り替えながら、終点になったかと思えば、4時になっても終わらず、食べ物は那須岳のように山と積まれて、食べても、飲んでもなくならず、語らいも同時進行で進んで行きました。
 外がようやく明るくなる頃、新幹線で帰る人が居て、やっと汽車はアルコールを少量にし、ピストンの大車輪がゆるやかにダウンしてきたが、やはり汽車の本能が石炭ならぬアルコールを入れ、再び出発する有り様でした。従って、路線を次から次へと継ぎ足し、4時を回った頃、駅のプラットホームに滑り込みました。
 それも仮泊して、再び8時頃より、むっくり起き上がり、アルコールを再度補充し、汽車は走りだし、女性の方が前日残った魚介類や野菜類、ウドン等をおじやにして出し、再び話のスタートとなりました。
 話が出発してから、ベットから起き上がる者、床上にゴロンとなった者、布団の中にいた者等が目の赤さに負けず、アルコールを補充する手の運びは、実に嬉しい姿でした。
 一応、12時頃となり、日も上がり、空気の澄んだ外に出るべく準備にかかり、温泉に出向きました。丸太小屋より温泉場まで来るまで20分位の那須岳中腹に有る硫黄分の強い温泉で部屋をとり、そこで、ワイン、ビールなどで腹を整え、補給し、入浴しました。温度は41度から2度刻みまであり、47度ではゆっくり入浴は難しく2〜3分で残念ながら出てしまいました。硫黄の香りを十分堪能して、部屋に戻り、ビール等でほてる身体に“もう一杯”の如く、おいしく戴きました。温泉場で4時間位費やし、最後に一浴びして、外の地獄谷を見て回り、1泊2日を有効に、勉強に、且つ、刺激的に“耽美”に意義ある時間を楽しい仲間たちと過ごすことが出来ました。(一体、何をしに行ったのやら…。来年が思いやられます。山)

東京便り

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